ヘイスティングスに30年間滞在して

                                 10月1日 福森 睦子さんより

精神科医である夫が働いていた、アメリカ・ネブラスカ州・ヘイスティングス市に私が着いたのは、19768月のことでした。ヘイスティングス市はアメリカの中央に位置し、人口23,000人の穀倉地帯です。町の周りは見渡す限り、とうもろこし、マイロ(飼料用穀物)、大豆畑です。最初はこんな田舎に、都会育ちの私たちが住めるのかと、大変心配でした。住めば都です。そこに住み着き30年という長い年月が過ぎてしまいました。ガス、電気の申し込みをすると、”Welcome Wagon” というボランティアの団体が、町の地図やお役所・医者などのあらゆる町のインフォメーションを提供してくれ、同時にいろいろな店からの小さいプレゼントをも持ってきてくれました。大変親切に暖かく接してくれ、とても感激しました。

 先ず、最初に子供たちのために、ESL (English as a second language) のクラスに出席し、そこでボランティアの先生方から、英語圏外からの人たちのための一対一のその人に合った英語を教えてもらいました。その先生とまず友達になり、それから私の行動範囲が少しずつ広がっていきました。YWCAもその一つで、初めはクラスで習う方でしたが、そのうちに頼まれて、料理(主に中華料理)、押絵、洋裁、茶道、華道などを教えるようになりました。そうこうしている間に200人くらいのベトナム難民が町に受け入れられ、全くベトナム語の分からない私が、彼らに英語を教えるようになりました。

 ヘイスティングス大学の卒業生で、熊本県大津町の英語の教師をしていた方の発案で、ヘイスティングス市と大津町が姉妹都市となり、昨年10周年の記念式典が開催されました。毎年大津とヘイスティングスとの交流があり、おかげで日本ではお会いすることのなかった、素晴らしいい方々と出会うことができました。

 地平線に刻々と落ちていく真っ赤な太陽は、当地を訪れる日本からのお客様への最高のおもてなしです。春3月下旬から4月上旬にかけて、数十万という、なべづるに似た Sandhill crane が北へ飛んでいきますが、当地に近いブラットリバーが中継地となり、ここで数週間鳥たちは過ごします。朝と夕暮れ時、空が真っ暗になります。昼間ハイウエイのすぐ近くのとうもろこし畑で、たくさんの鶴が、落ちている穀物をついばんでいる姿が見受けられます。

 年を取るにつれて故郷が恋しくなり、一大決心をした末、2005年暮れに宇治に帰って参りました。蒸し暑い今年の夏には少し参りましたが、今日本の美しい四季の移り変わりや、おいしい食べ物を楽しみながら、新しい人生を歩み始めました。

       
             ヘイスティングスの我が家                 ヘイスティングス近郊のとうもろこし畑

       
              我が家でのホームパーティ           クリスマスに我が家に来てキャロルを歌ってくれました

           
         州章と道標                      Sandhill crane

        

        
                            ネブラスカは大いなる西部への道


お便り 10月